昭和四十五年四月二十一日 朝の御理解
X御理解第四十二節 「これ程、信心するのにどうして、かうゆう事が出来るであろうかと思へば、信心はもう止って居る。これ未だ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心して行けば、そこからおかげが受けられる。」
私は昨夜、夜の御祈念が済んでから、お初穂の整理をしておりましたから、私も一緒に手伝わせて頂いて、終わっておりましたら、御本部から愛子さんが昨日が卒業式でしたのでその足ですぐ帰って来とりますから、ゆうべの終のバスで帰って参りました。おかげで一年間の修行が実って初めて金光さまの先生、いわゆる取り次ぎ者としての修行を終えて、帰って来た訳でございます。
卒業証書を金光さまのお写真の前にお供えさせて頂きまして、本当に有り難い事だなと、まあ思わせて頂いてもう何もかにも済ましておりましたから、お話しはまあしばらくに致しましてから、もうすぐにやすませてもらいました。 さあ、やすませて頂きましたら、昨日一日の例えば御大祭の一日の模様をずっと思わせて頂いとりましら、又愛子さんが道の教師を志してもろうて修行に行った時分の事から帰らせて頂いた今日、そしてこれから又、それがどうゆうおかげに進展していく分からない程しの、これはまあだ未知のものですけれども本当に有り難い事になってくると。
もうあれを思い、これを思いしよりましたら、有り難うして、有り難うしてたまらんやうに有り難いです。とうとう起き出ましてからね、昨日、私客殿に一人休ませて頂きました。それからたんぜんを着たまま廊下に出て、昨日は二時頃は、もうそれこそ煌々とした月でした。耳納山が少しかすんで、もう昼のやうにあるし、電気の少ない合楽教会のたたずまいとゆうものをです。月の光で拝ませて頂きながら、もうとに角どこを見ても、ここを見ても有り難い事ずくめ。どうしてこうゆう有り難い事になってきたであろうかとゆう事でございました。
しかも又これからです。どのやうなおかげに進展していくだろうかとゆう事でございます。昨日、何度目かの私が親先生の所に出らして頂きました時に、丁度お祭りが終わって、私が皆さんに御挨拶が終わって参りました。そしたら、親先生が奥様やら薬院の先生、岸先生にお話しをしておられるところでした。それが何を話しておられたかと云うと、そもそも今度が御大祭には実を云うたら、私は祭主もつとめんはずだった。お説教も、お願いに来たけれどもことわった、とゆうお話しをなさっておられるところでした。大体大坪さんがこうして大祭の祭とお説教をお願いに来たけれどもことわった、と。そしたらね。又、二、三時間したら出て来た。
そして親先生、私は帰ってから、いろいろ考えさせて頂きよったら、先生こうゆう事になりよったら親教会と私が断絶になる思いがします」と、そげなこつを大坪さんが云うたと。
「だから、いよいよ親先生が祭主をつとめなさらんなら、それは私もまあ出来んなりにもつかえましょう。親先生は私にお説教もせると云われたから、それは私がお説教も致しましょう。けれども、こげな事しよると、これは親教会と断絶が起こってくると思うて、いろいろあれ考え、これ考えして、実は今日又お願いに出て参りましたが、先生、薬院の杉尾先生にお願いして来て頂いたらどうじゃろうか」と云うて来から、私もすぐそれはよかろうと云うて、私が承知したとゆう話しをしておられました。
そしたら、杉尾先生も岸先生も非常に感動しましたです。こげな事いきよったら必ず親教会と合楽は断絶になる、と。
実はもうあの時は、もう総代さん方とやらせて頂きましたが、帰ってから、クーッとしてもうすぐ寝付いてしもうたです。そして寝ながら考えて、こげな事ではと思うて、もう一辺お願いに行こうと思うて、お広前に出て参りましたら、丁度総代の高芝さんがお礼に出て来ておりましたけれから、「ちょいとあんた、従ってくれ」と云うて再びお願いに出ましたが、そして親先生が気嫌よう、その事を引き受けて下さって薬院の先生に来て頂いたと、
「そうゆう訳でしたか、そうゆう訳なら、まちっと話のしやうがあった」と薬院の先生が‥‥‥。何かやっぱ話しがしにくかったです。自分は又ちょいと、お父さんの顔作りに来とるとんごたる感じじゃった。
そうゆう事じゃったら、今日のは、第一巻にしとってから、この続きがずーっと有りますけん、二巻、三巻をお話ししましょう、と云うてから。それから、もう大変気分やうなられましてね、昨日なんかはここの青年会、皆んなでもう、遅うまで一生懸命信心の話しをして下さったとゆう事でございましたがね、私はそれを考えよりましたら、いよいよですねぇ、これは福岡の吉木先生にでも、(奥さまの甥に当たられますから)これはお願いが出来るやうになるぞ、行徳先生にもお願い出来るやうになるぞと、親先生の弟さんですから‥‥‥。
そうゆう風におかげ頂いていきよるとです。どうにも出来ない、もう行きづまりを感じておった。桜井先生も、これはいよいよおかげが受けられるなあと、又最近これはいよいよスムーズにおかげが受けてゆけるなとゆう事も、それこそそれを思い、これを思い致しました。ゆうべばかりは‥‥‥。
どうして神さまはお働きの進展し具合とゆうものがです‥‥‥。
親先生が気嫌やう、例えば星野教会では、自分が何もかもしてやんなさって、同じ出社ですよ、ここよりも十八日が御大祭でした。そしてちゃんと葉書に親先生のお説教と書いちゃる、けれども合楽じゃいやと、こう。
まあ云うなら、冷たい事を云いなさんなとゆう感じもするけれどもです。そうゆう風に云うて頂いたおかげでですね。これからの合楽が又新たな進展をたどる事が出来るんだとゆう事がです。そらもう私がおかげ頂くどころじゃなかと云うて頂いとったら、こうゆう風には進展しなかったでしょう。本当にいよいよ有り難い事になってきたなとゆう風にです。思わせて頂きました。そんな事でとうとうゆうべばっかり一睡もしませんでした。
それがおかげを頂いて今日の御理解がです。四十二節、これは今、私が読みましたやうに、もうこれはこのままです。信心しよってどうゆう事が起こってもです。どうしてとゆうやうな時には信心はもうとどまっておる、これは まあだ信心が足らんと思う手、一心と信心していきやそこからおかげ受けられる、とゆう風に教えておられますけれども、もうこの辺のところは、合楽の皆さんはもう、とうの昔に私は卒業しておられると思うたから、だからここんところをですねぇ、こうゆう風頂かずに、これ程信心するのに、とゆうところにですねぇ、これ程の信心しか出来ませんのにと合楽の者は頂かにゃならんと思う。 これ程の信心しか出来ませんのにこのやうなおかげを頂いて有り難い。
私自身の信心を思うてみましてもです。昨日の祭一日の事を思うてみましてもです。本当にこの位な信心しか出来ませんのに、おかげだけはこのやうに頂いてです。有り難し、そこにはです。信心が生き生きとして流動しておる。それは水の流れのやうにです。もうとどまる事を知らない程に、信心が流動しておる。生き生きとしておかげの世界へ世界へと流れ進んでおるとゆう感じです。 これ程の信心しか出来ませんのにこのやうなおかげを頂いて有り難い、いよいよこのおかげに対しまして、です。さあ、これから、どのやうな信心させて頂いて、その神さまのおかげにお応えさせて頂こうかとゆう事になってくる。 信心が足らねからじゃと思うてじゃなくてです、この位な信心しか出来んのに、このやうなおかげを頂いておるのであるから、それにお応えさせて頂くところの信心を、さあどうさせて頂こうかと、心にたえず祈りに祈り練りに練ってわかなければ、いけない。
それは親先生、あなたはこのやうなおかげを受けとりますけんでそうでしょう、けれども、とは云うてはいけん何故って、私がこの二十年間の信心を振り返ってみてです。私が今申しましたやうな、生き方できとりますから食べるに食が無い。着るに衣がない、といったやうな時代もです。私の心の中にはね、それこそ何十年間のお粗末御無礼は勿論の事、信心も本当に出来ませんのに、私がその当時心の中に頂いておった喜び、信心とゆうものは神さは、どうしてこげんおかげ下さるじゃろうか、とゆう事でした。
神さまが、いろいろおしらせを下さいますよねぇ、
「この家に寄ってみれ、この家には病人が居るから、お導きしてやれ」とこうおっしゃる。
初めての家に私はもう本当にそれこそ、おそる、おそる入って参りましてね、ところが入りましたら、すぐそこの所に、長々と寝とりなさいますもの。
やっぱ、ここに病人さんがおらっしゃった、さあひとつ信心の話しをさせて頂こうと思うてです。私は初めての所ですからねぇ、「どうかありなさいますとですか」
そしたらくるっと起き上ってですねぇ、妙な奴が入って来たと思いなさったんでしょうねぇ、「私はちょいと、昼寝しとるところでですよ」と云われる。 もう私しや、本なこてですねぇ、もう本当にそれこそ穴があるなら入りたい程でした。ちょっと、済みませんけれども、水一杯よんで下さいませんですかと云うて、もう飲もうごとない水を頂いてから出て来ました。
私があるお願いを、もうとに角仕事はお差し止め頂いとりますかねぇ、もうどげな仕事でんよかと私は思いました、只家内子供がその日その日の最低の生活させて頂けるだけでいいから、いろいろ自分の仕事の事お願いさせて頂きましたら、「どこどこの何々とゆう町に何々とゆうたどん屋がある。だから、そこへ行って頼め」とおっしゃった。おかげ頂いたと思うて行ったらです。ちゃあんとその町が有るのですよ。頂いた通りに、そしてそこに何々れんたん製造所とゆうのが有るのです。
それから中に入りましたら、なかなか大変広いけれども、ひっそりとしておりますもん、そしていよいよ奥まった所に参りましたら、住宅が有りましてから、そこに参りましたら、住宅が有りましたてから、そこに参りまして、どげな仕事でんええから使って頂けんでしょうか、と云たら、「そうですなぁ、それは冬になるとですねぇ、いろんな仕事が有りますけれども、夏の時ですから休業状態ですから」と。
もう私はそうゆう時でもですねぇ、そればってん考えてみるとね、例えば、もうそれは嘘にでもですねぇ、神さまが教えて下さるとゆう事は、どうした有り難ったです。
それは本当に穴が有るなら入りたいやうな思いをする事があってもです。しかし神さまが私にねぇ、こんな話し掛けをして下さるとゆう事、嘘にでも教えて下さるとゆう事がね、私は有り難ったんす。
ですからもう一事が万事にです。そんなら私の二十年前の信心をして思うて見る時にです。これ程信心するのにどうして貧乏せんならんだろうかと、これかた先でん思うた事がなかったです。只有り難いばかりでした。
だから、これ位な信心しか出来んのにです、神さまからお知らせを頂くてんなんてん、とてもとてもこれは、昔からの偉い先生方の特別の事かと思うておったら実際に私が頂いておるとゆう事がね、有り難かった。
だから、こうゆうおかげに対してです、どうゆう信心させて頂こうかと、それこそ一応にその事を思い続けました。
だからそうゆう信心、そこからです、そこからおかげが受けられるとおっしゃる。だから、この二十四節は大変変わって参ります。だから、これはですねぇ、まあ云うならば、合楽のこうして朝参りでもなさる皆さんの場合、もう私はそんなら1年もこうして朝参りをしておられる方ならばです
信心させて頂いておって、どのやうな事が起こってきてもです。どうしてこげな事の起こってくるじゃなかろうかてんなんてんな思いなさらんじゃろうと私は思います、又そう信じてます
ですからね、そこんところを今私が申しますやうに、これ程信心するのにとゆうのではなくて、これ程の信心しか出来ませんのに、このやうなおかげを頂いて有り難しとそうゆう神さまのおかげに対して思いに対してどうゆう信心をもって、お応えさせて頂こうかとゆうやうなです。もう流れに流れてやまない信心、一時も一瞬もとどまる事を知らない信心、そこから私は受けていくところのおかげをですねぇ、私は本当なおかげだと思います。どうぞ。